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吹田の街に縁のあるゲストをお招きする、インタビュー企画。日々感じる、この街への想い・・・。ゲストが語る街の魅力を耳にすれば、新たな「吹田」の魅力を発見できるかもしれません。
今、吹田で農業をする、ということ
 安心、安全な食を求めて、農業が見直されるようになって久しい。
 そして、ここ吹田でも、およそ5年ほど前から、地元産の野菜たちが注目を集めている。その先導役を務めるのが、江坂で『平野農園』を運営する平野紘一さんだ。
 とりわけ注目されるのが、市街地区域であるという立地の中で、しっかりと減農薬野菜作りに取り組んでいること。その味は、野菜本来の旨味をしっかりと残し、滋味深い。地元のレストランはもちろんのこと、大阪市内の有名ホテルのレストランなどからも、平野さんの野菜に注文が殺到。また、市内の小学校の給食にも使われることからも、その「安心・安全度」が伺い知れる。
 そしてもう一つ、『平野農園』が注目される理由がある。それは、幻の食材“吹田くわい”を復活させたことだ。
吹田くわいのこと
 吹田くわいの歴史は、江戸時代まで遡る。美食家としても知られた狂歌師の蜀山人は「思い出る 鱧の骨切りすり流し 吹田くわいに天王寺蕪」という歌を詠み、豊臣秀吉は京都に持ち帰り“東寺くわい”として愛で育てた。さらに1600年代後半から明治維新までの頃、天皇家にも献上されていたというから、その価値は推し量ることができる。
 だが近年、田んぼの数が減り、都市化が進むことで吹田くわいの数は激減。そもそもくわいを育てるには農薬を使えず、身は小さく、栽培するのにも手間がかかる野菜だ。そのため各農家も、わざわざそのために労力を使うことができず、いつの間にか「幻」の野菜へとなっていく。
 そして、時を経て2002年。徐々に農業に注目が集まっていくなか、吹田市でも「幻の野菜」復活への動きが高まっていく。そこで「栽培してほしい」と最後に頼み込まれたのが、平野農園だった。
 「ちょうどその頃、自分も、自身の健康のこととかいろいろ考えることがあってね。体に良いものを自分でも作らないといけないと思っていたんです。くわいという野菜は農薬が使えへんからね。ちょうどいいきっかけになった。もちろん、伝統野菜を未来に繋げていきたいという気持ちも大きかったですわ」と平野さん。たまたま平野さんが休耕田を所有していたこともあり、吹田くわいは復活を果たした。
平野さんにとっての、農業
 前述のように、平野さんは「自身の健康」のことがきっかけで、減農薬野菜作りに取り組むようになった。だが実は、平野さんの農業歴は、長い。「親がしてましたからね。私も小学校5年生くらいから手伝ってました。朝早くから起きて手伝い、帰ってからも手伝い。だから学校で居眠りしても大目に見てもらえたもんです(笑)」。しかし、「今思えば、食うためだけにしていたというか。特に思い入れもなくやってましたね」と振り返る。
 そこへ訪れたのは、極度の体調不良。胃ガンであった。
 平野さんは自身の農業への取り組みに対して「本当にこれでいいんだろうか」と思い始めていた。幸いに発見が早かったためガンは完治するが、健康に良い野菜を作らなければいけないのではないだろうか、自分がしてきたことは間違っていたのではないかと、思い悩むようになる。
 ちょうどその頃、吹田市の職員がくわいの話を持ってきた。平野さんにとっては渡りに舟。
 すべては、そこから始まったのだ。
農業を通して、平野農園がしたいこと
 減農薬野菜を育て、それが周りの人に喜んでもらえるようになって、徐々に平野さんの考えも変わっていった。「世間に求められること、そして、そのことを喜んでもらえること。そういうことが分かってきました。農業の大切さっていうのを、今になって初めて理解できたような気がします」と平野さん。そして平野さんの「熱」は、周りにも広がる。約4500平米の土地を耕したり、約160種もの野菜を収穫することを手伝ってくれる人たちは、みんなボランティア。中には吹田市外から手伝いに来てくれる人もいるほどだ。平野さんをはじめ、そうやって手伝ってくれる人たちの手により、各レストランなどの店主に「吹田の野菜はホンモノや」と言わしめるほどにまで成長したのだ。
 「大学生が授業の一環として手伝いに来てくれたり、子どもたちが見学に来てくれたりね。やっぱりそういうのは嬉しいですね。本当に大切なこと。がんばることとか、安全な食べ物を提供したりとか・・・もっと若い人たちに知ってほしい。だから、私も、まだまだがんばらなきゃ」。平野さんは、まるで自分に言い聞かせているかのように、語った。
 吹田くわいが原点に立ち還ったように、吹田の農業が原点に立ち還ったように。平野さんの人生もまた、原点に立ち還った。
 そしてその想いは、吹田くわいが天皇家に献上されるまでになったように、きっと、大きく花開くはずだ。
 平野さんの人生の差し足は、まだまだ鋭く、駆け抜けていく。
Profile
平野紘一(ひらの こういち)/1940年11月18日 吹田市生まれ。農業を営んでいた両親とともに、若くから農業に従事。2003年、吹田市が吹田くわいの復活に向かって動き出したのを機に、休耕田を耕し、吹田くわい作りを始める。その頃から始めた有機栽培・減農薬野菜は、瞬く間に周辺に浸透し、多くのレストランから注文が殺到。現在は「平野農園」を営む傍ら「吹田の農を考える」グループに所属し、農業の大切さを広める活動も行っている。